療養日記

療養の自分記録用

集中力

山本文緒さんの「ファースト・プライオリティ」を読み返したが、
途中で集中力が切れてしまった。
たぶん学生の時に読んだきりだったので、話は全然覚えていなくて
新鮮だった。
また、会社の話、登場人物の年齢が今の自分に近い話が多くて、
色々な感情が刺激された。
とても面白かったけど、1時間は読めなかった。
以前だったら、読書は10時間ぶっ続けでも苦ではなかった。
スティーグ・ラーソンの「ミレニアム」に出会ったときは、
1巻読んで面白すぎて全巻買いに走り、仕事しているとき以外はずっと読んで
休日含めて3日かからず読んでしまった。


でも今は、1章1章で、疲れてしまう。


子供の頃、自分は割と集中力があったと自負している。
勉強も、人との会話で面白いことを言うことも、
集中力を持って取り組めばうまくいくと思っていたし、
実際うまくいっていた。
私は、大学時代にジャズ研に所属してドラムを毎日叩いていた。
ジャズはアドリブ、インプロヴァイズがキモの音楽で、
一緒に演奏している人が何を考えているか、何をやりたいか
即座に理解し、追従したり追い越したり時には反逆したりすることが
とても楽しいのだ。
そして、その最中はとんでもない集中力が必要になる。
ある一瞬、または奇跡的にそのセッションすべてで、
相手を理解し、演奏の質を高める演奏ができると、とてつもない興奮と快感が起きる。
ジャズの音楽、ドラム自体ではなく、このセッションが
自分は好きだったんだと思う。
実際、今はジャズの音楽を聴くことはほとんどない。
当然、自分はプロではないので、技術力も手数もそんなにないけど、
この一瞬を自分で起こせる集中力をもっていると思っていた。


でも、今の自分にはない。
そして、なけなしのドラムの技術もなくなった。


これが老化によるものなのか、ドラムをやめてしまったからなのか
それとも20代中盤を無為に過ごした代償なのか、病気のせいなのか
わからないが、たぶんすべてなんだろうけど、
とても悲しい。


ジャズは会話でもある。
自分は、あまりおしゃべりなほうではない。と思う。
でも、会話で相手を喜ばせたり、面白がらせるのが好きだ。
どんな返答をしたら、どんな話題を切り出せば
相手とのインプロヴァイズが決まるかを、
割と無意識に考える。
会話の中身はあまり重要でなく、楽しかったひと時になれば、いいなと思う。
そのためには、やっぱり相手を理解するための集中力が必要になる。
でも、いつしか、相手の顔色を窺って
何も言えなくなってしまった。
何を言えば「正解」なのかわからなくなってしまった。


「共感力は高いけど、自分の意思そのものが弱い」と
会社の研修で言われたことがある。
とても納得できる。


用意された舞台があり、周りを囲んでくれる演者がいて
自分を待ってくれるファンがいて、
初めて自分を自信がある役者にできるような感覚。
ぼろぼろの掘っ立て小屋や、悪意をもった演者や指揮者
誰にも愛されていないと感じるような、何か悪い要素が
一つでもあると、
とたんにただへらへら笑っている案山子のような存在に
自分が自分を設定してしまうのだ。


また、自分以外を役者やステージと考えてしまうこと
そのもの自体がおかしいとも言える。
「会話の中身はあまり重要でない」というのは、
相手を理解しているつもりで、その場しのぎの言葉で、
相手の悩みや、本質に触れたり、助けたりはしていないと
いうことだと思う。
よく、「人を喜ばせることが好きです」などと周りに言っていたが、
「楽しい人だと思われることが好きです」が正しい。


学生時代、自分の後輩に、今の自分と同じような病気になってしまった子がいた。
夜中に電話がきて、泣きながら過呼吸になりながら助けを求めてくる。
自分はそれに鷹揚と良い先輩の役で受け答え、
少し笑わせて安心させて、良い雰囲気になって電話を
終えることを何度も行っていた。
でも、結局彼女は今も治っておらず、
ネット上でうかがい知れる近況は、あまり目を向けたくないような
ものになっている。
自分から、彼女に手を差し伸べたことは、一度もなかった。
彼女を本当に心配など、たぶんしていなかった。


結局、自分は流されているだけだと思う。
自分は冷たい人間で、冷たいくせに暖かいものを
他者から求めている。


今の現状は、とても幸福なのだ。
理解のある会社、愛する恋人、心配してくれる両親がいて、
口をそろえて「休みなさい」と言ってくれ、
齢30に迫った人間が甘えられる。
でも、自分は過去に起きたちょっとした舞台のシミや、
そりの合わなかった演者とのあれこれや、スケジュールを恨んで、
相手に直接文句を言うことさえなく、ただ頭の中でストライキをおこしている。
それはとても滑稽だなぁと思う。


ヒーローになりたかったと、以前ブログに書いたけれど。
本物のヒーローは、敵がいて困難があってそれでも勝ち、守ることが
できるからヒーローなのに。
物語にある「幸せに暮らしましたとさ」は、
人生においては死なない限り通用しないとわかっているはずなのに。
自分は、ヒーローが称賛されるところだけをほしがって、
たまたまそんな機会が訪れた時に自分にうっとりして、
うまくいかなくなったらリセットしたいと駄々をこねる子供なのだ。


…集中力の話から大分それてしまったけれど、
色々と自分の本質を思い起こすことが出来たような気がする。
そしてそれには夢診断が結構役に立っている。
思い起こすことのないキーワードをインプットすることで、
無意識が意識になって、思考を進ませる。
いいこともあれば悪いこともあるけど、
自分にとって、夢日記をつけることとブログを書くことは
今のところプラスに働いているようです。